FC2ブログ

私達の学び 目からウロコの内容

メシヤ教の楳木代表が各支部で毎月開催されたメシヤ講座の主要点を掲載

縄文時代以前から、徳で治めるために日本で大事にしてきたこと「道法礼節」について 2015年6月メシヤ講座②

インドは「どうしたら徳によって治めることができるのか」というふうに悉達太子が観音様にお尋ねしたところ、その回答というのはですね、恐らく「道法礼節」で説かれていたのではないかなと思います。
これは、以前のメシヤ講座でもお話しましたように、道というのは道(ミチ)ですので、何事にも道があるのだ、と。

ですから、分りやすいのは、お花の生け方を習う時に「生花教室で習うよりも華道教室で習え」というふうに言われております。それは、道を習わないと・・・アレンジメントのようにですね、花の生け方だけを習ったところで人間としては成長ということはできない
ので、何事にも道があるということを教えてもらう華道というのを習ったほうが良いと昔から言われております。そういうふうに何事
にも道があるのだということを分かっておかないといけない。

それから法というのは、法律の法ですけれども、この法の語源は炎からきておりますので、炎というのは触ったら熱いですので触れない。ですからこの世の中には触ってはいけないものがあるのだ,と。触れてはいけないものがあるのだ、と。そういう犯してはならないものがこの世の中にはあるので、それを知って生きていくことを次には教えられていると思います。

それから礼節の礼というのは、皆さん方手の平に礼を書いてみてください。旧字体で書いてください。旧字体で書くと、示偏に豊と書きます。これは豊かさを示すということなので、金銭的な、物質的な豊かさだけではなくてですね、精神的な豊かさがあれば礼を尽くすことができるのだということですね。

まあ我々卑近な例で考えていくとですね、気分の良い時に自分の奥さんからごちゃごちゃ言われても腹が立たないのですけれど、疲れている時とか、仕事の事とかで悩んでいる時に、ちょっと変なこと言われると「何、うるさいなー」というふうになってしまいます。
しかし、自分が精神的に豊な時には、丁寧に答えてあげることが出来ると思うのですけれども、それくらい礼を尽くすということは、
やはり物心両面で豊かでないと礼を尽くすことはできないと・・・。

それから節というのは・・・、竹というものは、中は空洞ですけれども節があるので非常に強いわけです。それと同じように節目、節
目でですね・・・、今後ろに小さいお子さんがいらっしゃいますけれども、例えば七五三とかの節目の時に・・・その時々にですね、
皆さん、現代人は写真を撮ることを中心にお宮参りに行きますけれども、実は七五三ではですね、「三つ子の魂、百まで」というよう
なことがありますように、一応自我ができた時に心得ることは何かということを訓示するのが本来の七五三の時にやらないといけないことなわけですね。

それから、論語などにもありますように、「十五にして学を志す」とかいうようなことが出た時に、なぜそういうことがあるかというと、我々の脳細胞というのは十五歳まで細胞分裂を積み重ねていって十五歳の時に脳細胞が完成します。そして、それから細胞分裂はなくてずっと死滅していくわけなので、十五になった時から学びをしていくとですね、万全な体制で勉強ができるということを、神様から教えられた上でこういうことが言葉として残っているのだ、と。

そういう節目、節目を大事にしていくということをやっていけばですね、人間としての成長が図れる。こういうことを「道法礼節」と
いう言葉を基にですね、悉達太子に話しをされたと思います。そして、その話しをですね、「なるほどそういう教えがあるのか」とい
うことで悉達太子は意を決意してですね、このインドのバラモン宗でしか悟りを開くことをできないところを、こういう日本の教えで
救っていこうということで出家をしました。
メシヤ講座岡山2015年6月

2015年6月の御教えは『文明の創造』宗教篇「キリスト教」342ページです

















































関連記事

タグ:仏教 道法礼節 徳で治める

Comment

Post Comments

(設定しておくと後でPC版から編集できます)
非公開コメント