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私達の学び 目からウロコの内容

メシヤ教の楳木代表が各支部で毎月開催されたメシヤ講座の主要点を掲載

「意味が分からないものは、有り難い」という精神構造が出来てしまった訳 2015年6月⑥

代表先生
先祖を祀る時にもですね、この世の中に生まれないでお腹の中で死んだお子さんはですね、○○児之神霊、というふうに呼び名を付けております。それから年齢がですね、三十歳に満たないで亡くなっている人には、○○比古之神霊、あるいは○○比女之神霊、というふうに呼んで、三十歳以上を毘古之神霊、毘女之神霊というふうにして、その年齢に応じて、亡くなった時の送り名というのが変わってきている。それが根幹にあるようにですね、日本人というのは節目、節目に、「その訓示を受けて育つ」ということを、昔から慣わしとしてきておりました。しかし、現代は写真を中心にやっているので、もう京都なんかにいくと自撮りの棒ばっかりもった人達が観光しているという話になっているのは、その見える世界ばっかり追っかけているために、そういうことになっているわけですね。

伊都能売神皇様が、御釈迦様がまだ皇太子の時に教えたことは、そうした日本人が昔から大切にしてきたことや、徳によって世の中を治めていくという在り方を教えてあげたためにですね、御釈迦様は皇太子の座を棄てて、そして家族も捨てて、一心にですね、悟道に入っていくわけですね。そして悟りを開いて御釈迦様になっていくわけなので、その御釈迦様の教えの根本は・・・、日本のそうしたことを伊都能売神皇様から教えられたので、今までのバラモン教という難行苦行によって悟りを開いていく、そういうことではインド人全体を救うことはできないので、日本の教えを基にした教えで救っていこうとして、結果お経ができあがったわけです。ですから、そのお経が中国を通って入ってきた時にですね、日本人はその日本の教えの精神がそのお経の中に入っているので、すーっと受け入れたわけです。

しかし、同時に、日本人にですね、その時から一つの大変な精神の癖が生まれてきております。それは、たばこ持っている人いない?たばこがなければ、この本をですね、こうして読むと・・「祈りの栞に寄せて」という本になりますけれども、こうするとお経になります。以前にもお経のあげ方を話したことがあると思いますが、これを逆さまに読んでいくとお経になっていきます。「に~つん、よんつん~いんとん~びんわんしゅ~ん・・・・」というふうに読んでいくとお経のように聞こえてきて・・(笑)

これは何故かというと、日本人はですね、インド語は分からないのですが、そのインド語のお経を理解していく時、中国を通っていった時に漢字で入ってきているのですが、その漢字をインド語風に読んでも分からないので、それに節を付けて、ずーとお経という形で挙げるようになりました。そうするとその節回しが心地よいように聞こえてくるようになったので、それ以来ですね、「意味が分からないものは、有り難い」という精神構造ができあがってきております。お経というのは「有り難い」と言った時には、それはインド語の意味が分からないままに・・私の祖母などもですね、朝起きた時から「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と言っておりました。この「南無」というのはインド語で「帰依する」ということなのだけれども、「生涯、阿弥陀仏に帰依する」という意味であるということを知らないまま、「なみあみだぶつ」と言って、そして生涯を終えております。

昔の方々はそういうことで、仏教というものを捉えているがために、物事がはっきりしない方が有り難いという精神構造ができあがってきている部分がありますので、鎮めるという時には物事を決めない方が心を鎮めることができるので、そうしたことでですね、物質偏重の世の中になって欲望をずっと追及する日本を鎮めるために、この仏教が果たしてきた役割というのは、そういう意味では大きかったわけです。

それと同時に中国を通って入ってくる時にですね、儒教を拾ってきたために、儒教の形式である黒塗りに金泥で文字を書くという形が今の位牌になっております。仏教が入ってきた時ですね、それまで日本は白木を位牌にしていたのが、それよりも黒塗りの金文字で書いたものの方が、先祖を祀る上においては、非常にいいということで、それにスッとみんな切り替えていったわけであります。


具体的な御教えゆえに、具現化できる

こういう歴史をしっかり見つめておかないとですね、メシヤ様は、訳の分からない話を一切されておりませんので、具体的に人々の問題を解決するということを念頭に置いて、私達に御教えを説かれております。ですから具体論ばっかりですので、岡田茂吉全集にしてもですね、三十三冊という形になっていっているわけですね。ですから具体的であるが故に御教えの数が多いということですね。ですから私達の信仰生活も「具体論」がなければメシヤ様の信仰ということには行けないわけですね。
2015年6月メシヤ講座大阪

2015年6月の御教え『文明の創造』宗教篇「キリスト教」342ページです
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タグ:御教え 先祖供養 お経

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