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私達の学び 目からウロコの内容

メシヤ教の楳木代表が各支部で毎月開催されたメシヤ講座の主要点を掲載

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3月3日と5月5日の祭典     2017年2月⑤

楳木代表

それと。さっき支部長代理もお話ししてくれたように、3月3日が執り行われるのは、これはの花が咲く祭典なんだ、と。それで5月5日がの実が成る、そういう祭典なので、私の都合で、初めてこの主神様の御神体の表装が出来上がったのが、4月の20日過ぎだったのですね。ですから、御奉斎日を29日の祭日にするか、或いは5月3日にするか、5日にするかという事を考えていたのですが、5月5日は大分県の玖珠郡玖珠町という所の久留島武彦という日本のアンゼルセンと言われている人が玖珠町で育った人だったので、5月5日は童話祭というのを執り行っているんですよ。今は埼玉県に追い抜かれたのですけれど、何年か前までは日本一の鯉のぼりを上げていた、63メートルの。しかし、埼玉県がそれを抜いてしまったので、日本2番目の鯉のぼりしか上げてないのですけど、そういうお祭りの日なので、そういうお祭りの日に、御奉斎式をさして頂こうかと思って決めたのです。ところが、『人間的にはそういう思いで5月5日決めただろうけど、これは神界が誘導した事なのだ。3月3日から5月5日というのは、神が決めた事なので、そうした所にもそれぞれの気持ちを集中して、各祭典を執り行って行くように』という御垂示を今回頂いておりますので、今年前半非常に大事な祭典が続きますけれども、一層心を集中して取り組ませて頂きたいと思います。

立春祭の時にお話ししましたように、天皇陛下のお名前と皇太子のお名前の中に、平成29年を終えて、平成30年3月3日のメシヤ降誕本祝典を執り行った、その後、御代が変わりますけども、その御代が変わった時に、昭和が霊で、平成が体と考えた時には、平成というのは体の霊にあたるので、次の御代が本当の体に当たって来るので、この時からが地上天国を建設できるか、できないかの大きな境目になって来るので、この前もアイドルの女の子が18歳の若さで突然死したとかいうようなことが有りましたが、これから頻繁に様々な形で考えられないような事が起きてきます。その起きて来るのは平成31年から起きてきますので、その時までに皆さん方の浄霊力とかメシヤ様に自分のお祈りが通じるような、そういう神性を蘇らせるという取り組みをずっと積み重ねて頂いて、大勢を救わせて頂きながら、地上天国を建設していくという御神業に使って頂けるようなところをめざして、お取り組み頂ければ大変有難いと思いますので、最後にそういう事をお願いをさせて頂いて、メシヤ講座を終わりたいと思います。ありがとうございました。
2017年2月メシヤ講座三重


〔参考資料1〕
(五)、最勝妙如来

平成29年4月7日代表よりの伝言の中に、「メシヤ教の創立記念祭が5月5日であることに因んで最勝妙如来様を注目するようにとの御意図か、何度も強調されていた」というのがありました。

ハハァ、「是も入れておけ」という意味なのだと以心伝心ですぐに分かった。最勝妙如来とは、正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかつあかつかちはやびあめのおしほみみのみこと)の御佛名である。古事記では天照大御神と素盞鳴尊の天の真奈井の八州ヶ原での誓約の時の五男三女の五男の筆頭で、天照大御神様の長男という事になっている。

要するに負けることがない最強の神様で千手観音様でもあり太郎でもあらせられる。又昔話の「カチカチ山」とはこの神様の逸話である。『太郎は私である』と仰られているから、メシヤ様ご自身でもある。要するに3月3日にの花が咲き、5月5日にの実がなり、桃の節句なのだからこちらの散花結実はおいしい。なるが故にメシヤ教が復興されればおいしいし、復興に無関心とあらば、泥舟と一緒に沈む事ともなろう。

光りの玉が世界大になった今こそ、その岐路に立たされている事を感じて頂きたいのである。
楳木代表よりの御下命を戴いて    新潟出張所 庭山光太郎



〔参考資料2〕

結実した実のお働きによって実相世界が出来る

第2号では「日本に於て、何故仏法の花を咲かせなければならないかというと、そこにも深い密意が秘んでいる。」という箇所では、伊都能売神皇様が印度に落ち延び給い、観世音菩薩となられ、釈迦をして仏教教団を造らしめ、その教えを聖徳太子となられ日本に取り入れられたのが本地垂迹で、光明皇后時代に仏法の花を咲かせられたのは、仏法の花を咲かせなければ実が実らないからという訳で、絢爛たる仏花が開いた訳です。そして実を結んだのが如意輪観音であり、転輪菩薩であり、最勝妙如来である桃太郎であったという事になるのですが、その結実した実のお働きによって実相世界が出来るという密意がそこにはあった訳です。何とも遠大なる御経綸かと驚く外はありませんが、実が実れば当然花は散るのですから、散花結実の世界的バージョンが、末法に於ける法滅尽経、彌勒出現成就経として説かれた訳です。


結実した実とは

結実した実とは、聖王母(西王母)の園に生った桃の実を大君に奉るという中国の伝説であり、聖王母の園とは仏教でいう胎蔵界の事であり、光明世界を胎蔵していた事であり、伊邪冊(いざなみ)尊が大光明世界を産む可く経綸をなされた時という事であります。その実(実相世界の)の中核がメシヤ様のお働きという事ですから、如何にメシヤ様が待望の方であられたかは申すまでもない事であります。


名前の示すもの

面白い事にメシヤ様御在世中のまだ光りの玉に「ゝ」が入る前の胎蔵界時代に、御自分を「仁斎」と名乗られ、経の中島先生を「一斎」、緯の渋井先生を「総斎」と名付けられていました。そして井上先生には「茂登吉」、長谷川女史には「ナミ」と命名されたのでした。

「⦿」は元々日という字ですから、真ん中の横棒がゝに当たり、口が〇に当たります。一斎は「一」で「ゝ」であり、総斎の総は数の総べては「1~10」で、「十」は「〇(まる)」となるから、それを合わせると仁斎(「⦿」)で「仁」は左から読めば二人ですから、併せて「⦿」を意味し、この二人を主導されて「⦿」になられる可く、御経綸をされて来ました。

更に、井上茂登吉とは茂吉、メシヤ様のお名前の中に「登」が入っているのは、メシヤ様の御母堂様のお名前が「登里」さんで、その一字を入れて、茂吉であり御自分は母親を頭に戴く十一面観音様とされ、未だ胎蔵界である事を示されたのだと思います。何故なら十一面観音様の頭には観音様の母親である阿弥陀如来が居られる事から、茂吉(観音様)の真ん中に母親を入れた訳です。

十一面観音様は時が進み御経綸が進むと千手観音様(千手観音と十一面観音は首から上は同じ)になられるという事から、やはり茂登吉先生は十一面観音様を意味し、メシヤ様は未だ千手観音様にならない胎蔵界である事を示され、又、ナミさんはイザナミの神様、聖王母(いざなみの神)を表されています。つまりナミさんは三千年に一度生る桃の実を生み、大神様に捧げるお役で、それが結実の昭和25年6月15日に入られると総裁先生は御浄化に入られ、その約4か月前に一斎先生は帰幽されているのですから第一段階の散花結実であり、第二段階の散花結実には井上茂登吉邸での御神事で完全に「⦿」が結実し、成長されて行く中で、霊的に桃太郎を生み、メシヤ様ご自身が帰幽された事は何といっても最大の散花結実という外はありません。勿論それで十一面観音様は千手観音、桃太郎になられたのはいいのですが、メシヤ様ご自身は霊的とはいえ余りに大きくなり、肉体では支え切れないから霊界に御帰還遊ばされた訳です。本来ならば現界に居られて存分に千手観音様のお働きをされるのが順当であると思うのですが、仲々人間の思うような訳には行かないのが大千三千世界であるらしいのです
楳木代表よりの御下命を戴いて 第2号の追加      新潟出張所 庭山光太郎


〔参考資料3〕

宇宙意思とは…

そして宇宙意思とは一口で言うが、これは三通りあると言い、第一次的宇宙意思を天之御中主神から豊雲野神に至る、自然に成りませる7柱の神の働きを以て決め、第二次元宇宙意思を宇比地邇神以下、須比智邇神の4組8柱を以て区別し、第三次宇宙意思への進展を伊邪那岐・伊邪那美神両神を以て、普遍の神性が愈々個別の神性への移行となり、潜在エネルギーが顕在エネルギーとして千様万態の形貌を現出する事となるということで、普遍的働きより個別的働きへの切り替えのスイッチとなるのが、伊邪那岐・伊邪那美の両神で、世界は裏面に潜在エネルギー(普遍の神性)の存在を前提として、表面に顕在エネルギーとして個別の神性が(生命・働き)が無限に生起する段階に入るというのです。

ここで、古事記は普遍の神性なる時は御神名を「神」とし、個別の自主的意念なる時は「命」と記し、この区別をつけているという事です。要するに普遍という時は伊邪那岐神としたら、個別となった場合は伊邪那岐命となるようです。

この次元に於て、国生み神生みが行われ、更に将来人間が通らねばならぬ善・悪・苦・楽に関する一切の準備が人類発生次元の前の次元に準備せられたという事になっています。

それに就いては火の神を産む事によって、伊邪那美神は陰処を焼かれ亡くなるのですが、この事によって、火が生物の生命を奪う事を示し、火は霊であり、霊は体に対しての生命を意味することから、生命が体より脱出すれば一切の生物に死なる現象が生起する事を明示し、伊邪那岐の男性生命体も伊邪那美の女性生命体も未だ霊的存在ではありますが、女性伊邪那美の生命体には死なる現象が生起、付加されることになり、今肉体を持った我々生物の生命体は全て女性伊邪那美の生命体として、死というものが生起することが決定づけられることになります。

然し乍ら我々生物は肉体が滅んだといってもいささかも憂える必要はないのです。人間には伊邪那岐の男性生命体中に幽魂と言われる霊的生命体があり、死によって現魂は本籍地の幽魂に落ち着くのであって、生き変わり死に変わりして永遠の生命体たり得るという事だからです。



黄泉比良坂での争い

黄泉(よもつ)国に行かれた伊邪那美命伊邪那岐命の交渉は執着・嫉妬・怨恨等の悪徳を生じ、黄泉比良坂で闘争へと発展し、結局悪徳に対する革正の働きとなる、伊邪那岐神による禊祓い行事は必要欠くべからざる行為を認めさせ、その際には祓いより禊を先行させなければならない事を、これまた明示されていると言うのであります。というのは、先ず、自己を正しくする事なくして他を排除(祓う)すれば断えず悪との葛藤を醸す故となります。

そしてここで大事なのは、黄泉比良坂での闘争により、醜女(しこめ)、魔群に追われた伊邪那岐命は黄泉比良坂の坂本に来た時に、その坂本にあった桃の実を三つ取って投げつけて撃退されたのですが、その時にこの桃の実に対し、意当加牟豆美命(おほかたずみのみこと)と名付け、この桃の実に「お前が私を助けたように、この葦原の中津国に生活している多くの人間たちが苦しい目に遭って苦しむ時に助けておくれ」と仰せになられるのですが、三つの桃の実とは「五・六・七次元の絶対力を結集した力」という事になっているようです。

斯くして四次元の主神の表現神、代表神は伊邪那岐神という事になるのです。



「三次元の主神の表現神」

そして愈々三次元の主神という事になりますが、三次元で植物、動物を生じ、二次元に至って人間を生じるに至るが、霊界に於てであり、一次元に至って初めて現界に人間の五感により識別できる今日只今の世界という事になっているようで、この三次元間は太陽によって生成化育されるを以て主神とされるが故に、御神名は天照皇大御神という事になるという事なのです。

以上で古事記による主神の代表神というのは五次元の国常立尊、四次元の伊邪那岐尊、そして三次元の天照皇大御神までの三柱の御神名でのお働きに化けられる事は先ず確実という事になります。そしてこの七次元に及ぶ主神は皆共通した要素を持っている事がお分りになられると思います。


七次元に及ぶ主神の共通した要素

つまり七次元の潜在エネルギーであられる天之御中主神は「+」・「-」ゼロではあるが、陽・陰を内包した「0」ですから、伊都能売神を内包されています。六次元の主神の代表神は宇麻志阿斯訶備比古遅神で「+」と「-」の組み合わせから生じた代表神は、矢張り伊都能売神の要素を元としているし、六次元の主神の表現神の国常立尊は絶対善が余りに厳しい故に観音様になられたのですから、そのままで、伊邪那岐尊は伊邪冊尊と併せると、天之御中主神より16・17番目で二柱で33で観音の33相に相当するし、天照皇大御神は言わずもがな、「⦿」が入られた状態の主神様で、「○」は麻邇の玉で観音様の御魂で、その中に「ゝ」(御倉板挙之神様)が入られた状態を示すもので、「ゝ」が黒点で「○」は太陽に相当し(そういう意味からすれば観音様「○」は大日如来(太陽)とも言える)、「ゝ」が火としたら「○」は水になるという事は「ゝ」と「○」のエネルギーの違いは、「○」は熱度を感じるが、「ゝ」はそれより遥かに熱度が高く、もはや熱度を通り越すと熱いを通り越して、何も感じもなくなるエネルギーそのものとなり、それが浄霊の火素と言われるものという事になるのですから、ミクラタナの神様「ゝ」こそ最高最尊の御魂であられる事から、我々が何気なく行っている浄霊力こそ如何に尊いお力を頂いているかという事になるのです。

因みに最勝妙如来で被在(あらせ)られる正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかつあかつかちはやびあめのおしほみみのみこと)は素盞鳴尊と天照大神の誓約の時の五男三女の五男の筆頭で、天照大神の長男と書きましたが、その天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)は誓約の時に天照大神が左の御髪に巻いた統治の象徴である五百津美須摩琉の玉をスサノウの尊が+噛み砕いて、狭霧の如くなられた処から生まれた神様というのですから、「ゝ」が合わさって狭霧になったのですから、これ以上ない力の持ち主で、それが桃太郎なのですから、もう言う事はない訳です。

伊邪那岐命様が「自分が助けられたように、人民が苦しんでいる時は助けてあげてくれるように。」と頼まれたその神様がこの6月15日に我々がお詫びと共にこの世にお出まし頂けるように御祈願させて頂くという事が、如何に重要で尊い事なのかを認識して頂きたいと思うのであります。

『私は化けているからね。』というお言葉の何と深い事か。もともと観音の33相というのは、どの階層の人にもそれに合わせて救って下さる事を意味するのでありますから、将に「化け化け」という尊いお方という事が出来るでしょう。

『・・・観音様は日本の神様で、伊都能売大神とも国常立大神とも、天照皇大御神様にもなるんであります。・・・(「岡田茂吉全集 講話篇1」P.55)』と。
楳木代表よりの御下命を戴いて第2号の追加 続き    新潟出張所 庭山光太郎



<今月の学び>

「『善悪発生とキリスト教』文明の創造」(昭和二十七年)

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』57ページに記載されています。





<学び>
3月3日はの節句であり、と大変関係があるようです。
メシヤ様とは太郎のようですが、まだ、あまり良く分かりません
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タグ: 天皇陛下 伊邪那岐命 伊邪那美命

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