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私達の学び 目からウロコの内容

メシヤ教の楳木代表が各支部で毎月開催されたメシヤ講座の主要点を掲載

教団の課題が明確になる 2009年1月①

2.教団の課題が明確になる

そこで、私が関ったことを通して教団の課題を整理しておきます。私は、主之光教団の前身である「教団護持委員会」を支持して、教団改革に参画したことがあります。その際、「どうして内紛、分裂を繰り返すのか」が大命題となってゆきました。

教団護持委員会の発足当時は、6億円疑惑を掛けられた中村力総長(昭和59年当時)の側近者(ほんの一握りの職員)と高知、愛媛両県の信者で構成していました。弱小集団であったために、自らの取り組みがメシヤ様の御心に適っているのかということを問い掛けつつ、御教えに進むべき道を求め続けなければ、信仰者としての取り組みはできませんでした。当たり前の話ではありますが、そうせざるを得ない事態が続いたのです。

その一つが「おひかり」のご下附に関することです。「体制側に異を唱えるならばご下附をしない」という対策です。本来人を救うために存在するものを、対策の手段に利用するというもので、これは過去の離脱教団へも対処した内容ですが、当初は大変不安にさせられる事柄でした。

次には、箱根・祖霊舎(当時)への祖霊祭祀を受け付けないという手段です。「皆さんのご先祖が悲しむ」という、脅しとも言える文言で対策が講じられました。当時は、未信者の方でも申し込むことができるようになっていましたので、大変疑問の生じることなのですが、こちらも不安にさせられる内容でした。

しかし、これは信者さんをお世話させていただく上で不安にさせられる内容であって、信仰を継続する上で不安にさせられる内容ではないことにやがて気付いてゆきます。それは、「おひかり」と祖霊祭祀について、御教えに照らして根本的に考えさせられる機会となったからです。

おひかり」については、小学生の頃貴重な体験を重ねました。浄霊による奇蹟は4歳時に救われて以来途切れることなく日常茶飯事的に起きていましたが、掌から御光の出る様子はこの頃知らされたのです。以前にもお話したことがありますが、叔母が御光を拝することができるようになったことからでした。

普段人の掌からは白っぽい光のようなものが出ているが、「明主様(当時・現在はメシヤ様)、浄霊をさせていただきます」と祈ると、瞬時に金色に変わって力強く放射される、というものでした。様々に実験を繰り返しましたが、百発百中でした。そこで重く感じたことは、「メシヤ様への祈りこそが浄霊には欠かせないことである」ということでした。

おひかり」を首へ掛け忘れても浄霊ができたことを誰もが体験していたことと併せ考えると、「おひかり」の必要性に疑問符が芽生えた瞬間でした。

こうした疑問符は、教団紛争の実弾的材料に利用されたことを通して決定的なものになりました。そもそもメシヤ様以外で初めて浄霊を取り次ぐことができた人は、メシヤ様の『許す』というお言葉によってできたのでした。そこには「おひかり」というものは介在していません。それらのことから、メシヤ様の『これからは想念の世界で、私に対する想念が根本だからお守り(おひかり)は要らない』というお言葉に出会って、そのまま受け入れることのできた理由です。

お守り(おひかり)は要らない』というお言葉に対して、当時の理事長が“お守り(おひかり)を下附しなくなった場合の布教に与える悪影響”をさらにご説明申し上げることにより、『それなら印刷しなさい』と御方針の変更をされた旨の話を聞いています。

つまり布教上の理由、組織論でメシヤ様に対して説明を執り行ったということであり、その時点において「教団の課題」が発生したことになります。大変重要な問題が浮き彫りにされました。


3.御教えは『神の言葉』という認識

祖霊祭祀については、そもそもメシヤ様のなされたことではなく、必要性すら疑わしくなりました。そのため、「教団護持委員会」発足当時の各種検討段階では、主之光教団の牧野日出男前会長や仲泊弘現理事長と祖霊祭祀の廃止を合意したのです。現場の実情と御教えを踏まえての結論でした。

これは御教えの取り扱いの問題と併せて考えさせられたことです。

私は、中学生時に御教え拝読により色弱の解決を許され、御教えの絶対性を体得させていただきました。

また、救世専門学院(当時)で入学当初配布された“お蔵入り状態”の御教えは、僅かの期間で回収されたことがあり、教団での御教えの取り扱いに対する疑問を内包していた私は、「教団護持委員会」での活動中に全論文、問答形式御教え、詩歌集の全てを目にすることができました。

幸いなことに、活動範囲の拡充に伴い、中村力総長(当時)のご配慮から、教学委員会(当時)がまとめた「論文集(定稿・未定稿)」を手に入れることが許されました。また、総長室に保管されていた「教団として整えるべき課題」に関わる御教え(神観、教祖観に始まり祭服の色に関わるものまで、分類してまとめられたもの)を持つことを許されました。

一方、参謀格であった牧野事務局長(当時・主之光教団前会長)から、教団浄化の背景(教団内外で関わった全ての人物の相関関係など)をつぶさに聞き、根の深さと複雑さを知るに至りました。同時に、故人となられた長村信博常任理事(当時)から教団内外で尽力された方々について詳細に渉って聞き及びました。

当時若輩であった自分に何故このような情報が集まるか不思議ではありましたが、幼少期からの大命題に関する解答をメシヤ様からいただいたように受け止めたのでした。

と言いますのは、 私は4歳時に医者から見放されたところを浄霊により救われ、中学生時に御教え拝読により色弱の解決を許され、浄霊と御教えの絶対性を体得させていただきました。この二点は、私自身がこの上なくメシヤ様の恩恵にあずかってきたことを意味します。感謝申し上げることは勿論ですが、「可能な限り多くの方々とメシヤ様の恩恵を分かち合う」という大命題が肩にのしかかってきたことも事実です。

何故なら、『救われた命を私事へ使用してはならない』というメシヤ様のお言葉が存在するからです。

救われた後の長年月は、各宗教が果たしてきた役割と救済法を知る期間であったように思います。そしてその期間を通して、浄霊観は絶大なる拡がりを見て、万教帰一の根幹となる考え方を身につけることができました。

また、人々の幸不幸の現実を直視すると共に、その解決に奔走しましたが、自らの人生では道を踏み誤ったり、壁にぶつかったりいたしました。汗顔の至りではありますが、その中で体験的に御教えが真理であり『神の言葉』であるという思いに至ったのです。

その認識で各地に赴任し、あるいは対策に奔走する中で直面したことは、御教えの拝読よりも教団幹部の指導が上位に位置している実態でした。それが最たる改革内容となってまいりました。

幹部の話の中には『神の言葉』ということが登場しますが、上滑り状態でした。認識度の希薄さが教団の課題として次に明確となったことでした。
メシヤ講座特選集no.97平成21年1月
<学び>
代表はこのように、自らに起こって来たことを整理して、教団の課題を明確にされていかれたことを学ばせて頂きました。

私は子育て真っ最中!
上のほうで何が起こっているのやらサッパリ分かりませんでした。( ノД`)
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タグ:教団改革 おひかり 教団紛争 祖霊祭祀

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