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メシヤ教の楳木代表が各支部で毎月開催されたメシヤ講座の主要点を掲載

メシヤ様の御神事をしっかり肚に入れさせて頂く   2015年3月⑤

メシヤ様の御神事をしっかり肚に入れさせて頂く


 そういう事をお願いさせて頂いて326頁に戻ってきますけども、この中で非常に奥が深いなぁ、というのはですね、
今拝読した3行目の所から
『処が伊都能売(いづのめ)神去り給ひし後の日本は、どうなったかといふと、其(その)弟神であったのが、彼(かの)天照天皇であって、此(この)天皇は惜しくも、何の理由もなく俄(にわか)に崩御され給ふたので、止むなく其皇后を立てて、御位に即かせられたのが彼の女性である天照天皇であった。今も尚、天照大御神が日の神でありながら女神として祀(まつ)られてゐるのは、そういふ訳なのである。又以前私はかいた事があるが、素尊は日本の統治権を得んとして余りに焦り、目的の為に手段を択(えら)ばず式で、(この目的の為に手段を択えらばず式が6億円疑惑と同じ内容だという事ですね)力の政治を行った結果、人心は紊(みだ)れ、収拾すべからざるに至ったので、茲ここに父君である伊邪那岐(いざなぎ)尊の御勘気(かんき)に触れ、譴責(けんせき)の止むなき事になった。』

という事ですけど「譴責の止むなき事になった」と言った時に、罰を与えたとかいう事ではなくて、この時に中国からですね高千穂に潜んでいた瓊瓊杵尊様のお孫様が、東征に出てですね、そして伊都能売神皇の後日本を抑えていた素盞嗚尊をですね、その勢力を成敗して行って、そして天照皇后様を祖神に仰いで、そして神武天皇に即位したという事です。

茲はですね「天」ではですね「伊邪那岐尊様の御勘気に触れ、譴責の止むなき事になった」という訳でありますけれども、地上界では神武天皇に統制させたという事になって来ます。ですから大本教の「お筆先」の中にですね「神様の事は分らないと言った時に分った」という事になるんだと、奥には奥があってその奥の奥にまた奥があるというような、そういうふうに捉えた時にやっと神様の事が分かったというふうな事を、メシヤ様が「お筆先」を引用されておりますけれど、そうした事はこうした所を拝読をする毎にですね、自分達の肚にしっかり入れさせて頂きたいというふうに思います。

茲にずーっとですね「古事記」について触れられておりますけども、何処迄も古事記の内容というのは、神武天皇の世になって取り纏めたのが古事記であります。何処迄も為政者の政治を進める為に取り纏めた物が古事記でありますので、メシヤ様は『文明の創造』を書く迄はですね、どうしても神武天皇の系統の皇室に配慮しながら、而もですね、言わば戦時中は取り分け触れると罪に問われるような事になりがちだったので、控えながらずーっとお書きになっていたという事が、茲と併せて考えて置かないといけない事であろうかと思います。

そして、329頁にですね、茲に日本人が全く知らない事が書かれております。それは329頁の4行目から

『それは伊邪那岐いざなぎ、伊邪那美いざなみ尊から生れた五柱の男女の兄弟がある。即ち長男は伊都能売いづのめ天皇、次男が天照天皇、三男が神素盞嗚かむすさのお尊、長女が稚姫君わかひめぎみ命、二女が初稚姫はつわかひめ命である。』

この事はですね、殆んど日本人は知りません。だから天照天皇という天皇が、いらしたという事すら知らない訳ですね。だから天照皇后様が、どうして当時天皇になられたのかという事すらですね、当の日本人が知らない事でありますけれども、今回この『文明の創造』によってですね、この事を明確にメシヤ様が御示し下さっておりますので、こうした事を私達は心得ておかないといけない事が、言えるのではないかと思います。

而もですね、昭和6年6月15日にどうして『夜昼転換』したのか、という内容についても、この天照天皇を「鋸山」で御迎えしたから『夜昼転換』が行われた訳なんで、その時にメシヤ様がですね、鋸山に登られて天照天皇を頂上で御迎えになったから、三千年間ですねずーっと現界にお出ましにならなかった天照天皇を、御迎えしたから『夜昼転換』が出来たという事です。そして、その天照天皇を、国会議事堂のすぐ傍の「日枝神社」に御鎮座申し上げたので、日本は段々『昼』に変わって行ったという事です。

この繋がりをですね、現在で言えば世界救世教の信者が分って置かなければ、『夜昼転換』の中味がサッパリ分らないという事になります。要は『夜昼転換』したから淨霊が出来るようになったんだという様な解説しか世界救世きゅうせい教はしておりません。然し、本日拝読をした所からその『夜昼転換』がどうして行われたかというと、三千年前にですね伊都能売神皇様が、皇位を譲った天照天皇様が殺されて、その殺されたまま、ずーっと現界には三千年間出られなかったのが、メシヤ様の御神事によって現界に御出座して頂いたので、その事によって『夜昼転換』が出来たという事でありますから、この事をしっかり私達は分って置かないとですね、私達の御神業も何の為に御神業をやっているのか分らなくなってくる訳ですね。

唯「経綸」、「経綸」という言葉が世に通っていますけれども、経綸によってもう一度「薬」を飲み始めるというような経綸をしてしまうと、これは三千年前にもう一回この世の中を押し戻して行っているという御神業に、そういう事に手を貸しているという事になって来ますので、そこに所属するだけで罪を重ねて行ってしまうという事になっていますから、其処ではっきり物を言って“この様な事では、メシヤ様の御神業を進めている事にはならない”という、こういう態度を示して行かない限りですね、罪の上積みをしていって行くという事になって来ます。今回の御教えは、しっかり肚に置いてですね、私達の御神業を進めて行く上に於いて『力』にさせて頂きたいというふうに思います
2015年3月メシヤ講座出雲

2015年3月の御教えは『文明の創造』「観世音菩薩」326ページです
<学び>
昭和6年6月15日に「鋸山」でお迎えしたのが天照天皇であったとは・・・
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タグ:夜昼転換 天照天皇 経綸

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